私は若い頃から「いつか自分で事業を興したい」という気持ちを持っていました。それは、10代、20代の頃に出会った4つの言葉の影響だと思います。
「鶏口となるも牛後となるなかれ」 父親の教え
「Boys, Be Ambitious」 母校北海道大学クラーク博士の言葉
「人間は、自分の一番近いものになれる」 漫画「ジパング少年」
「Seize the Day 今を生きる」 映画「今を生きる」
初めて具体的に起業を意識したのは、商社マンとして駐在していた中国から帰国した社会人4年目26歳の時です。中国で知り合った友人と会社をやろうという夢を語り合っていました。 しかし実際には結婚したばかりで家族が出来、具体的なビジネスプランもビジネスマンとしてのスキルに確固たる自信もない私は尻込みをしてしまい、実現しませんでした。
それから会社員として3度の挫折(社会人4年目に突然上司に干される、好条件で転職した上場企業が3年で倒産し年収が半分、半年で部長降格)といくつかの新規事業を立ち上げた成功体験から、起業に多少の自信が持てるようになっていた2011年、初めて起業を夢見てから13年が経ち、私は39歳になっていました。
台北からの機内で起業を口にしてから3ヶ月、ある程度ビジネスプランのイメージが出来てきたころ、(でもまだ本当の意味で腹をくくっていない)2011年3月11日、あの東日本大震災が発生しました。
東京市ヶ谷の大変古いオフィスビルで、命の危険を感じながら階段を駆け下りたことを覚えています。
そして2011年6月
1度目の起業チャンスから逃げた苦い思い、会社員としての挫折と成功体験、共に事業を興そうと夢見てくれる仲間、パートナーの存在、そして大震災によって自分の生き方、死に方を深く考えさせられる最中、人生観に多大な影響を与えた4つの言葉が私を強く衝き動かし、「ラストチャンスだ、今やるしかない」、私は腹をくくり起業することを決心し、それをノートに記しました。
年末に受注したプロジェクトへの製品(コーティング機械)デリバリーが始まったのが2011年4月、例によって私は営業のくせに顧客の中国工場に1ヶ月滞在し、機械の設置立ち上げに奮闘していました。朝から晩まで条件の悪いクリーンルームの中で機械の調整、量産品の歩留まり向上に苦労していました。
2週間が過ぎた頃にクリーンルームでぶっ倒れ、近くのクリニックで点滴を打つこともありました。
1ヶ月後に帰国すると、やけに喉が渇いたり、夜中に足が痙攣したり、何となく体調がおかしいな。。。と感じていました。そして、程なくして受診した人間ドックで「糖尿病」と診断され、2週間の入院を余儀なくされました。
のちに主治医から、糖尿病は食生活だけでなく過度なストレスにより発症することも多いと聞かされました。
私は会社員として3度目の挫折の真っ只中におり、将来不安を掻き消す為に眼前のプロジェクトに没頭するあまり、過度のストレスを抱えていたのだと思います。
そんな健康不安を抱えることになってしまった中、病気をしたからこそ「今しかない起業の決心」は「確信」に変わり、私は6-9月にかけて人生初めての入院(2週間)もありながら国内外で資金集めに奔走しました。